「主人公は僕だった」を観て
面白かった映画でした。
自分がもうすぐ死ぬと分かっているとき、あなたはどう生きるか
快楽に走るのかなぁ。自暴自棄になっちゃうのかなぁ。
それとも、これまでの人生を振り返り過去を後悔したりするのかなぁ。
この問いをぼーっと眺めていて、そもそも最期の自己評価は「平凡な日常」と切り離された「特別な瞬間」の積み重ねによって決まるのではないかと思い始めました。
最期の自己評価は、いわば人生のゴールです。これを決めるのが特別な瞬間の積み重ねだとすると、この特別な瞬間(例:困難なプロジェクトをやり遂げたとき、賞賛されたとき、好きな人と初めて夜を共にしたとき、などなど)はどのようにして生まれるのでしょう。
言い換えると、何が特別なのでしょう。
2つの要因(外的・内的)があると考えています。
外的要因(=偶然性)はコントロールの効かないもの。計画された偶然性という言葉がありますが、結局はコントロールが効かないので活用はしにくいですね。
一方、内的要因とはトライ・チャレンジではないかと考えます。何かを試してみたり何かに挑戦することには、失敗と成功という2つの未来の可能性があります。そしてそれらは外的要因も絡むため不確かです。
これこそが平凡な日常と異なる部分であり、記憶に刻み込まれるものになるのだと思います。
ポイントは、失敗それ自体も、更には失敗からの復帰など、たとえ傷だらけであったとしても、特別な瞬間にノミネートされうるということです。
そのように考えると、どれだけトライ・チャレンジしたか、によって人生に対する自己評価は変わってくるんでしょうね。
そして、挑戦できる土台づくりとしての日常(質の良い休息、健康、良い友人関係など)と捉えると、平凡な日常生活も少しだけ背筋がピンと伸びる思いになりますね。